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プラネタリーヘルスの各トピックに関する知見を紹介します

プラネタリーヘルスの体系化とその意義

2026.05.11

はじめに

プラネタリーヘルスは、2015年に医学誌Lancetに掲載された報告書においてその全容が示された後、学際的な学術・実践領域として急速に発展してきました。しかし、プラネタリーヘルスという概念は、あまりにも広範な学際的問いを包摂するがゆえに、「抽象的すぎてよくわからない」「重要な概念であることは理解したが、自社・自団体での実践がイメージしにくい」といった感想を抱かれる方も少なくないように思われます。

事実、気候変動から生物多様性、環境汚染、食料システム、人権、さらには保健医療セクターそのものの環境負荷に至るまで、プラネタリーヘルスの射程は多岐にわたります。だからこそ、プラネタリーヘルスを実践的・政策的に活用するためには、その内部構造を整理し、それぞれの構成領域を体系的に把握することが不可欠なプロセスです。ところが、学際的な領域ということもあり、分野横断的な視点で体系化を試みる作業はあまり行われていないように思われます。

そこで、本稿は、本サイトによる試みの1つとして、プラネタリーヘルスを6つの構成領域に整理し、その体系化を提案するものです。学術研究等をベースにした体系化を意識していますが、本サイト運営者による解釈を含んでいることを予めお断りしておきます。

6つの領域とは、具体的には以下のとおりです。

第1領域:トリプルクライシスと健康影響

(1)三重の地球環境危機と疾病負荷

プラネタリーヘルスの中核をなすのは、気候変動、生物多様性の喪失、環境汚染が人々の健康に及ぼす影響の解明と対応です。この三重の危機はトリプルクライシスtriple planetary crisisとも呼ばれ、国連を始め国際的にもこの用語が用いられる場面が増えています。

気候変動と健康(climate health)については、熱中症・熱ストレスによる超過死亡、洪水・台風・干ばつなどの気象災害による外傷・感染症リスクの増大、感染症の地理的分布の変化、大気汚染の悪化に伴う呼吸器・循環器疾患、食料・水安全保障への悪影響を通じた栄養障害など、多経路にわたる健康影響が報告されています。IPCCの第6次評価報告書(AR6)も、気候変動が健康に影響を与え、特に脆弱層に不均等にその影響が生じるとしています。

プラネタリーヘルスの中でも、最も研究が進んでおり、国際的な議論もCOPなどによって特に重点的に議論されているように見受けられます。

生物多様性の喪失と健康については、人獣共通感染症リスクの増大や、医薬品資源としての生物種の消失が注目されています。また生態系サービス(花粉媒介、水の浄化、気候調節など)の劣化が食料生産や精神的健康に波及することも指摘されています。全体的に他の2つと比較すると疫学研究の蓄積が途上との印象ですが、感染症領域に関してはパンデミック等の大きな健康被害に直結する重要な領域です。

プラネタリーヘルスの中でも、グローバルヘルス(国際保健)やワンヘルスといった類似概念との隣接性が色濃い領域です。

環境汚染と健康については、WHOが報告している大気汚染による年間約700万人の早期死亡のほか、PFASやマイクロプラスチックを始めとする化学物質・素材による健康への影響のほか、土壌・水質汚染を通じた食物連鎖への化学物質蓄積など、多様な危険因子への曝露が問題となります。

この分野は、日本の高度成長期において四大公害として社会問題化するなど、いわゆるパブリックヘルスの中でも環境疫学との関連性が特に強い領域といえます。

(2)環境とメンタルヘルス

トリプルクライシスによる健康影響の中でも、環境問題がメンタルヘルスに及ぼす影響は近年急速に研究が進んでいる領域です。気候変動や自然災害による心理的影響は、PTSD・うつ病・不安障害などの従来の精神疾患の枠組みで理解される一方、この領域に固有の概念群が発展してきました。

最も広く参照されるのが、気候不安(climate anxiety)の概念です。気候変動に対する慢性的な不安や恐怖感は、特に若年層において顕著であるとされており、これが従来の不安障害とは異なる構造を持つ可能性が指摘されています。

また、環境問題に関連する苦悩・悲嘆はエコグリーフ(eco grief)と呼ばれますが、類似する別の概念として、ソラスタルジア(solastalgia)の概念が提唱されています。これは、自らの居住環境が環境破壊によって変化することで生じる苦悩・悲嘆を指すものであり、移住を伴わない環境的郷愁(一種のノスタルジア)として理解されます。こうした概念以外にも、気候変動に起因する農業の不振、漁業環境の悪化といった生活基盤の喪失と自殺・自傷との関連性も報告されています。

一方で、自然環境への接触(グリーンスペースや水辺)がメンタルヘルスに与える保護的効果も確認されており、環境がメンタルヘルスに与える影響はポジティブ/ネガティブ双方ありますが、こちらは第3領域とも関連します。

第2領域:アグリ・フードシステムと健康

アグリ・フードシステムは、食料生産・流通・消費のシステム全体が地球環境にも人間の健康にも双方向の影響を及ぼすことから、プラネタリーヘルスにおける独立した構成要素として分類すべきといえます。この領域で近年急速に科学的知見が蓄積されているのが、プラネタリーヘルスダイエットです。

EAT–Lancet委員会の2019年報告書は、植物性食品を中心とし、赤肉・砂糖・精製炭水化物を大幅に削減した食事パターンが、2050年時点の世界人口の健康と地球環境の持続可能性を同時に達成しうると提唱しました。同報告書は2025年にも改訂されており、新たに後述する正義や公平性の観点からの検討を行いつつ、最新の研究成果を多く引用しています。

また、上述したトリプルクライシスは、農業・フードシステムに大きな影響を与え、その影響は人の健康にも影響を与えることから、その具体的なメカニズムと政策やビジネスなどによる介入策もプラネタリーヘルスの領域として位置づけられます。関連する概念として、アグロエコロジー、再生型農業、地産地消モデル、食品廃棄の削減などが挙げられます。

さらに、フードシステムの脆弱性と食料安全保障との関係、例えば、気候変動による農業生産性の低下、干ばつ・洪水による食料危機、農業労働者の健康被害といった論点も健康への影響が生じうる点であり、プラネタリーヘルスの問題として位置づけられます。

第3領域:住環境・都市環境と健康

人々が日常的に生活する物理的環境が健康に与える影響は、プラネタリーヘルスの重要な構成要素です。特に研究が進んでいるのが、グリーンスペース(緑地・樹木など)・水辺といった自然環境の存在が健康に与える影響であり、例えば、都市公園や街路樹へのアクセスが心疾患・うつ病・肥満などのリスク低減と関連していることを示した研究を始めとした疫学研究が盛んに行われています。

反対に、都市開発・土地利用の変化は、自然生態系の破壊、ヒートアイランド現象の悪化、水害リスクの増大などを通じて健康影響を生じさせます。また、居住環境の劣化(断熱性の低い住宅、化学物質を含む建材、騒音・大気汚染への曝露)も、第1領域の環境汚染と重なる部分もありますが、主に住環境に関する危険因子に焦点が当たるため、本領域に含まれるテーマといえます。

第4領域:人権・正義

プラネタリーヘルスは、単なる環境科学や医学の問題にとどまらず、深く正義・権利の問題に根ざしています。この領域は、主に環境正義(environmental justice)気候難民(climate refugee)ジャスト・トランジション(just transition)などの概念によって説明されます。

環境正義とは、環境便益と環境負荷の分配が人種・階層・地域などの社会的属性によって不平等に生じているという問題認識に基づく概念です。プラネタリーヘルスの文脈では、温室効果ガスの排出が歴史的に先進国に集中してきた一方、その悪影響を顕著に受けるのがグローバル・サウス、先住民族、低所得コミュニティであるという不平等が問題とされます。

この領域では、環境因子による健康への影響が人権侵害として整理されることが前提となっているため、関連する法的な諸問題もテーマとなることが特徴的です。例えば、気候正義の法的展開として、2022年の国連総会による「清潔で健康かつ持続可能な環境への人権」の決議や2025年の国際司法裁判所(ICJ)が発出した勧告的意見などが示した見解とその法的位置づけが問われており、その帰結は各国の国内法制度にも影響を及ぼします。日本法との関連では、日本国憲法第25条(生存権)・第13条(幸福追求権)などの解釈による環境権・健康権の保障の可否やその内容などが重要な論点となります。

また、ジャスト・トランジションとは、脱炭素・エネルギー転換のプロセスにおいて、化石燃料産業の労働者や地域コミュニティが不当な不利益を被らないようにするための社会的・政策的枠組みです。例えば、脱炭素の推進を強力に進める一方で、石炭産業従事者の失業・貧困・社会的疎外が問題になる可能性がある問題や、再生エネルギーの普及推進を急ぐあまり、需要が高まるレアメタル鉱山による児童労働が看過されてしまうといった問題に焦点を当てた研究・実践が行われています。

第5領域:保健医療セクターの環境負荷

保健医療セクターは、傷病の治療を担う一方で、それ自体が相当規模の環境負荷を生み出しています。これは患者の疾病の治癒のための同セクターの取組みが、環境負荷を通じて人々の健康リスクの増大に寄与しているという一種の構造的矛盾ともいえます。

英国のNHSを対象とした研究によれば、医療セクターはイギリス全体の温室効果ガス排出量の約4-5%を占めているとされています。また、世界全体では医療セクターからのCO₂排出量が全体の約4.4%を占めるとの試算もあり、いずれも航空産業(同約2-5%)と同等かそれ以上であり、GHG排出量が多いセクターであることがわかります。

排出源としては、病院施設のエネルギー消費、医薬品・医療機器の製造・廃棄、医療廃棄物処理、医療従事者・患者の移動、麻酔に使用される揮発性ハロゲン化合物(笑気ガスを含む)などが挙げられます。また、抗菌薬の過剰処方・廃棄による環境中への流出と薬剤耐性菌(AMR)問題との関連も、この領域の重要な課題です。

対応策として、再生可能エネルギーへの転換、グリーン調達、低炭素手術室の設計、遠隔診療の活用、医療廃棄物の削減などが提唱されており、持続可能な保健医療(sustainable healthcare, green healthcare)という独自の政策・実践領域が確立されつつあります。実際、外科・循環器内科・総合診療科などの領域では、環境負荷の低いオペレーションに注目が集まりつつあり、関連する論文や学会発表、事例報告なども散見されるようになってきました。なお、COP26によって生まれたプログラムから派生した「気候変動と健康に関する変革的行動のためのアライアンス(ATACH)」など、保健医療システムの脱炭素推進等を目的とした国際合意も存在します。

上記のテーマに関連する研究も多いですが、上記の課題の現場・政策への浸透を含めた実践面での取組み等の存在感も大きな領域といえます。

第6領域:プラネタリーヘルスと安全保障

本領域は、新興感染症・パンデミックを中心に、環境問題が健康に与える影響の国家安全保障上の論点に焦点を当てる観点で、他の領域とは異なります。他の領域は、どちらかというと健康の決定因子である環境要因の広範性に焦点を当てていますが、本領域はその健康への影響が一国に止まらないことから、その結果として国家安全保障・地域安全保障の問題に発展することに着目しています。

グローバルヘルスの領域では、健康安全保障(health security)という概念があり、安全保障にリスクをもたらし、政府の重要業務に影響を及ぼすような事象への対応を表す際に用いられます。この事象は、放射性物質や核、パンデミックなどが中心であり、気候変動が含まれることは限定的でした。プラネタリーヘルスの文脈による安全保障は、気候変動による安全保障上の問題に焦点を当てるため、健康安全保障とは共通する部分は多いものの、異なるアプローチといえます。

例えば、気候変動による感染症の分布の変化に伴うワクチン確保の問題や、気候難民による国境を越えた人の移動が、国家安全保障や地域安全保障の問題を生じさせる場合があります。また、薬剤耐性菌(AMR)問題は、農業における抗生物質の過剰使用、環境中への抗生物質流出、グローバルな食料サプライチェーンを通じた拡散という構造を持ち、国家レベルの医療問題を超えた国家間・地域間の生態学的・公衆衛生的問題となる場合も想定されます。

おわりに

プラネタリーヘルスは、学際的で様々な問題を包括することから、そこに大きな可能性を見出すことができますが、その反面、スローガン的に用いられて具体的な取組みに発展しなかったり、非科学的な製品・サービスにおいてその名前だけが概念的に都合よく用いられたりする可能性も否定できません。こうした流れは、中長期的にみてプラネタリーヘルスの普及促進を阻害する可能性すらあります。

プラネタリーヘルスは、抽象的な概念だけではなく、政策形成・実践・研究・教育のそれぞれの場で具体的に議論可能な問いへと翻訳されることで、初めてその可能性を発揮します。そのためには、「プラネタリーヘルスとはどのような領域か」という問いに対する具体的な回答を行えるだけの体系化が重要であると考えます。

本稿で示した6つの領域による分類・体系化は、あくまで1つのアプローチに過ぎませんが、プラネタリーヘルスの体系的理解と国内外における研究・政策議論の促進に少しでも役立てば幸いです。